私の常識、今の人の非常識

この言葉に、私は何時も惑わされる。
時代が変われば、常識も変わると言う事なのだろう。
果たして総てにおいて本当にそうなのだろうか?。





確かに、このPCだって私が幼少の頃は無かった、電話だってハンドルを回し交換を通じて何番につなぎますかで有ったのが今では携帯で一人一人が電話を持っているし、あまつさえ画像まで自由に映し出され会話を楽しめる、総てが変わってしまった、この実態をいかな私だって否定は出来ない。





物質的な物は仕方が無いとしても精神的な物或いは生きていく上での個人的にも社会的にも節理見たいのは如何なんだろう?。
此処で私は迷う、親と子の関係、師弟関係、こんなのは私は時代が如何に変わろうと変化は有り得ないと考えている、しかし今は家庭生活の経済的な事も有るのだろう、子供を生んでも即子供は保育園に預け夫婦共稼ぎで不在は当たり前、師弟関係は今は子供達の登下校時には、子供に媚びるように先生が率先して挨拶をして送迎している。





先生たちのその言動は壊れ物に触る様に子供達に接し、言葉一つ間違えれば、即親からのクレームである。
有る以前は教師で有ったと言われる評論家面した人間なんかは率先垂範絶賛している、又自治体の教育委員会などもその方向で指導している様だ、果たしてこれで良いのだろうか?。
以後は時折これ等についてについて私なりの意見を書いてみたい。